好き嫌い
2002年8月15日 小学校の2年の時から、絵を書くのがすごい好きです。
ずっと風景画を描いてた。
描き始めたときから、色んな賞をもらった。
写生大会をはじめ、コンクールなんかでも...
親のシュミに影響されたんやと思う。
常に絵を描く環境が、俺の周りにはあった。
小1んときに絵を始めたんやけど、そんときは絵が大キライやった。
そんときのクラスの担任が絵画教室みたいなのを開いてて、
「オカン」もそれを習ってた。
始めて俺がその教室に連れて行かれて、
果物とビンの絵を、みんな(といってもおばさんばっかし)と一緒に描かされた。
初めて触る「絵の具」初めて描く「絵」。
俺はビンの向こうに透けて見える果物を、どーやって描けばイイのか分からず、
ビンの部分を全部茶色で塗りつぶした。
とーぜん小1の俺が描いた絵を、
「かわいいね」とか言ってみんなはほめてくれた。
しかし、家に付くなり、「オカン」は俺の描いた絵を破り捨て、俺の顔を殴った。
絵の破片は生ゴミと一緒に捨てられた。
「オマエは何を描いたんだ?恥かいたじゃない!!」
一気に絵がキライになった
小2ん時、オヤジと釣りに行った。
昨日の日記に書いたにと同じ場所だ。
そろそろ帰ろうかという時に、すぐ手前で、大きな魚が飛び跳ねた。
衝撃的な光景は今でもはっきり覚えてる。
夏休み中だったので、宿題になっていた「お絵かき」はコレだ!!と思った。
家に帰るなり、必死で描き始めた。
どーにかあんときの興奮を表現しようと...
できた絵は上手くはなかったが、自分では満足のいくモノだった。
「へたくそ」としか「オカン」は言わなかったが、
夏休み明け、俺の絵はAのはなまるをもらい、学級新聞にも載った。
クラスで一人だけの賞をもらい、俺はたまらなく嬉しかった。
それからかなぁ、絵をホンキで好きになったのは。
中学の写生大会でも3年連続で賞をもらった。
でも、そのころ風景画には飽き飽きしていた。
高2ん時に描いたイラストが友達にほめられ、
それからはイラストばっかし描くようになった。
高3の時はいっぱい描いた。
友達の絵、嫌いな先生の絵、自分の中にだけ存在する人物の絵...
少し前に友達に絵をあげた。
受験が終わり、みんなより一足早く富山を出るN田というヤツ。
気合入れて描いたから、あげた時は「すげー」とか言ってたが...
まだ持っててくれてんのかな?
絵がいっぱいたまったら路上ライブのついでに売ろうかな、
一枚10円!とかいって。
俺は「俺の母」を名乗る人物が憎い。
俺が小さい頃から、俺の周りのありとあらゆる遊び道具をうばってきた。
俺が怠けると「アナタに似たのね」と言い、オヤジのせいにする。
逆にテストでいい点をとると、「母さんに似たのね」といって自分の手柄にする。
大人は汚い。クサすぎる...
小5の時にあの女に言われた。
「アンタは母さんの株を上げるためだけに勉強すればいいのよ」って...
要は、テストでイイ点とるのも、一流企業に就職するのも、
結局は自分が周りに自慢して、ゼイタクな暮らしをしたいから。
事実、俺の今行ってる大学は、就職率は高いが、偏差値は低い。
ここに受かったとき、友達や、先生はいっぱいほめてくれて、一緒に喜んでくれた。
あの女は、
「自慢できないから誰にも言ってはいけない」
と俺に言った。
「俺はあの女の捨て駒ではない!」
そう思って昔から勉強をするのが大キライだった。
どんなに追い詰められても、勉強はしなかった。
今、音楽でメシ食っていくという夢がある。
ピアノもろくに弾けない俺に、音楽なんて出来るはずがない。
あの女はそう言った。
でも、相方が俺を選んでくれたのも事実。
路上で、ホントたくさんの人にほめられたのも事実。
何より、俺は自分の意思で生きたいし、
音楽をやらなければならない理由がある。
(これはまたいつか話します)
今絵を描いているのも、音楽をしているのも、ちゃんと自分のキャラを持っていたいから。
あの女の捨て駒なんかではないから。
俺の本当のお母さんはどこかにいると思う。
少なくとも、あの女ではない事は今でも信じている。
ずっと風景画を描いてた。
描き始めたときから、色んな賞をもらった。
写生大会をはじめ、コンクールなんかでも...
親のシュミに影響されたんやと思う。
常に絵を描く環境が、俺の周りにはあった。
小1んときに絵を始めたんやけど、そんときは絵が大キライやった。
そんときのクラスの担任が絵画教室みたいなのを開いてて、
「オカン」もそれを習ってた。
始めて俺がその教室に連れて行かれて、
果物とビンの絵を、みんな(といってもおばさんばっかし)と一緒に描かされた。
初めて触る「絵の具」初めて描く「絵」。
俺はビンの向こうに透けて見える果物を、どーやって描けばイイのか分からず、
ビンの部分を全部茶色で塗りつぶした。
とーぜん小1の俺が描いた絵を、
「かわいいね」とか言ってみんなはほめてくれた。
しかし、家に付くなり、「オカン」は俺の描いた絵を破り捨て、俺の顔を殴った。
絵の破片は生ゴミと一緒に捨てられた。
「オマエは何を描いたんだ?恥かいたじゃない!!」
一気に絵がキライになった
小2ん時、オヤジと釣りに行った。
昨日の日記に書いたにと同じ場所だ。
そろそろ帰ろうかという時に、すぐ手前で、大きな魚が飛び跳ねた。
衝撃的な光景は今でもはっきり覚えてる。
夏休み中だったので、宿題になっていた「お絵かき」はコレだ!!と思った。
家に帰るなり、必死で描き始めた。
どーにかあんときの興奮を表現しようと...
できた絵は上手くはなかったが、自分では満足のいくモノだった。
「へたくそ」としか「オカン」は言わなかったが、
夏休み明け、俺の絵はAのはなまるをもらい、学級新聞にも載った。
クラスで一人だけの賞をもらい、俺はたまらなく嬉しかった。
それからかなぁ、絵をホンキで好きになったのは。
中学の写生大会でも3年連続で賞をもらった。
でも、そのころ風景画には飽き飽きしていた。
高2ん時に描いたイラストが友達にほめられ、
それからはイラストばっかし描くようになった。
高3の時はいっぱい描いた。
友達の絵、嫌いな先生の絵、自分の中にだけ存在する人物の絵...
少し前に友達に絵をあげた。
受験が終わり、みんなより一足早く富山を出るN田というヤツ。
気合入れて描いたから、あげた時は「すげー」とか言ってたが...
まだ持っててくれてんのかな?
絵がいっぱいたまったら路上ライブのついでに売ろうかな、
一枚10円!とかいって。
俺は「俺の母」を名乗る人物が憎い。
俺が小さい頃から、俺の周りのありとあらゆる遊び道具をうばってきた。
俺が怠けると「アナタに似たのね」と言い、オヤジのせいにする。
逆にテストでいい点をとると、「母さんに似たのね」といって自分の手柄にする。
大人は汚い。クサすぎる...
小5の時にあの女に言われた。
「アンタは母さんの株を上げるためだけに勉強すればいいのよ」って...
要は、テストでイイ点とるのも、一流企業に就職するのも、
結局は自分が周りに自慢して、ゼイタクな暮らしをしたいから。
事実、俺の今行ってる大学は、就職率は高いが、偏差値は低い。
ここに受かったとき、友達や、先生はいっぱいほめてくれて、一緒に喜んでくれた。
あの女は、
「自慢できないから誰にも言ってはいけない」
と俺に言った。
「俺はあの女の捨て駒ではない!」
そう思って昔から勉強をするのが大キライだった。
どんなに追い詰められても、勉強はしなかった。
今、音楽でメシ食っていくという夢がある。
ピアノもろくに弾けない俺に、音楽なんて出来るはずがない。
あの女はそう言った。
でも、相方が俺を選んでくれたのも事実。
路上で、ホントたくさんの人にほめられたのも事実。
何より、俺は自分の意思で生きたいし、
音楽をやらなければならない理由がある。
(これはまたいつか話します)
今絵を描いているのも、音楽をしているのも、ちゃんと自分のキャラを持っていたいから。
あの女の捨て駒なんかではないから。
俺の本当のお母さんはどこかにいると思う。
少なくとも、あの女ではない事は今でも信じている。
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